2008年05月07日

京都北山にハイキングに行ってきました(夜泣峠から氷室へ)

鞍馬川と北山
5月6日に京都北山にハイキングに行ってきました。 夜泣峠(よなきとうげ)から氷室(ひむろ)を通って鷹峯(たかがみね)へ至るコースです。 コースの最後に光悦寺を訪れるつもりが、道を間違えて北大路通りまで出てしまいました。 そういうわけで今回は山道ばかりが多く、あまり面白みも無いのですが、ハイキングコースの参考として記録していくことにします。

二ノ瀬駅を降りると正面に鞍馬川が流れています。 橋を渡ると鞍馬街道に出ますが、橋を渡らずに左折します。 濃淡の異なる緑が美しい。

二ノ瀬という地名は、文徳天皇の皇子惟喬親王(これたかしんのう)がはじめ雲ヶ畑の一ノ瀬(市ノ瀬)におられ、次にこの地にうつられたことから付けられたそうです。

2本目の橋
川に沿って歩くと次の橋が見えてきます。

道標橋を渡ると鞍馬へ至りますが、左折して夜泣峠へ向かいます。
このコースは京都一周トレイルの一部になっていて、道標もしっかりして安心して歩けます。 といってもあくまでハイキングコースなので、地図と磁石は必携です。


叡山電鉄の踏切叡山電鉄の踏切を渡ります。 手前に東海自然歩道の案内板が立っていました。 去年の秋に歩いた鞍馬から大原のコースも載っていました。
東海自然歩道の案内板


守谷神社と富士神社踏切を渡ってすぐのところに守谷神社(もりたにじんじゃ)と富士神社があります。 守谷神社は惟喬親王(これたかしんのう) を祀った神社です。 文徳天皇の第1皇子として生まれながら、藤原良房の圧力により皇位を継げませんでした。 ちなみに皇太子になったのは第4子の惟仁親王(これひとしんのう)のちの清和天皇です。
(2008/5/6撮影 Coolpix P50)

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2008年05月08日

夜泣峠を超える

向谷川砂防堰堤守谷神社から堰堤の横を通って谷道を登ります。 


マウンテンバイク
谷を離れ植林の間を登り始めると、上からマウンテンバイクの二人連れが降りてきました。 下りは楽でしょうけど、かついで登るのはどうなんでしょう。 やったことが無いので分かりませんが、想像するほど大変でもないのでしょうか。

夜泣峠(1)守谷神社から20分ほどで夜泣峠に着きました。 二ノ瀬駅で先に行ったグループが休憩していました。


夜泣峠(2)夜泣峠の案内板。 説明文をそのまま。
「昔、幼少の惟喬親王が乳母に抱かれて二ノ瀬に出るとき、ここで一夜を明かされたが、親王が夜泣きをされたため、この峠にあった地蔵さんに願をかけたとたんに泣きやまれた。このことから夜泣峠といわれるようになったという」


夜泣峠(3)祠案内板の上の方に小さな祠がありました。 伝説によると、そばの松の樹皮を枕の下に入れておくと、子供の夜泣きが止まるそうです。(関西ハイキングガイドより)


十三石山方面
峠から見晴らしはほとんど利きませんが、少し先の樹木の間から十三石山方面が見えました。
(2008/5/6撮影 Coolpix P50)

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2008年05月09日

大岩出合から雲ヶ畑川に沿って山幸橋へ

栗夜叉谷出合
創元社の関西ハイキングガイドでは氷室峠から南へ尾根道を歩くようになっていますが、無理をせず東海自然歩道を歩きます。 快調に飛ばして下ると栗夜叉谷に出合い、ここから道幅も広くなります。 写真は左上が夜泣峠方面、右下が栗夜叉谷に沿って大岩方面。

雲ヶ畑川と府道61号線
渓流に沿って林道を下ると、やがて前方に雲ヶ畑川と車道(府道61号京都京北線)が見えてきました。 河原では家族連れの姿が見えました。

大岩
車道に降りて振り返ると大きな岩が見えました。 地名の大岩はこの岩から名付けられたのでしょうか。

白い花

シャク車道を歩いていると、こんな小さい白い花がたくさん咲いていました。
少しの風でもユラユラ揺れて、この写真を撮るのに難儀しました。
山溪フィールドブックの「春の野草」p.121にシャクという名で載っていました。コシャクともいうそうです。 若葉の時はおひたしにして食べられるそうです。



山幸橋しばらく歩くと、山幸橋(さんこうばし)が見えてきました。 橋に書いてある川の名前を見ると、いつの間にか鴨川になっていました。 私の持っている昭文社の地図(昭和57年4月発行)では、このあたりから上流が雲ヶ畑川なのですが、現在はもっと上流の出合橋まで鴨川になっているようです。


鴨川と山藤
山幸橋から鴨川(雲ヶ畑川)の上流を見たところ。 山藤が咲いているのが見えます。 今回は花の最盛期だったのでしょうか、あちこちで見かけました。
(2008/5/6撮影 Coolpix P50、最後の二枚のみPentax K100D + DA18-55)

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2008年05月10日

山幸橋から氷室へ

雲ヶ畑街道から氷室への分岐山幸橋を渡ると、すぐ右手に氷室への分岐が現れます。


高圧電線石段を上り、しばらく歩くと畑が広がっていました。 変わっていたことに、すべてネットで囲われており、高圧電線が張り巡らされていました。 農作業をしていた人に聞くと、猪だけでなく、鹿や猿もやって来るそうです。


盗人谷一の橋畑を巻いて杉林に入ると、やがて谷が現れます。 谷に架けてあった橋には「盗人谷一の橋」と書いてありました。 山菜泥棒が多いのかと思っていましたが、地図にも盗人谷と書いてありました。


京都一周トレイル北山西部コース案内図(1)京都一周トレイル北山西部コース案内図(2)
途中、京都一周トレイル北山西部コース案内図が立っていました。
地図を見ていると、ここから市街地へ出ずに高雄まで行けるようです。


小峠やがて小峠に到着。 昼食にしました。


氷室(1)
昼食後、杉林を下ると急に視界が開け、氷室に到着。 田園風景が広がっていました。
(2008/5/6撮影 Pentax K100D + DA18-55)

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2008年05月11日

氷室跡

氷室の里水田風景の広がる氷室の里を歩きます。


地蔵堂地蔵堂のある辻に出ました。
京都一周トレイルの標柱を見ると、氷室跡へは地蔵堂のすぐ後の道を入るようです。


氷室への道写真の切り株のあたりに細い道があるのですが、道標が立っていません。 よく見ると小さな板きれがあり、どうも風化して文字が消えてしまったようです。 


石室人一人がやっと通れる細い道を進むと、水田の下に石室が見えました。 おぉ、これが氷室かと一瞬喜んでみたものの、何の立札もありません。 ガイドブックには西へ100mほど歩いた杉林の中と書いてありますが、まだ10mか20mぐらいしか歩いていません。 念のため、もう少し先へ歩いてみました。


氷室跡の石碑なかなかそれらしきものが見あたらないので、あきらめて引き返そうかと思いましたが、左の山裾を回ったところでやっと氷室跡の石碑を見つけました。


氷室跡斜面を登ると直径3mから5mぐらいでしょうか、おわんのようなくぼみ
がありました。 他にも二つあり、全部で三つありました。
これが氷室跡のようで、ここに保存した氷を夏に取り出し、天皇に献上したそうです。
(2008/5/6撮影 Pentax K100D + DA18-55)

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2008年05月12日

氷室神社(京都)

灯籠
氷室跡から地蔵堂へ戻り南へ歩くと、氷室神社の灯籠が見えてきます。

氷室神社前までやって来ると、杉林の奥へ参道が続いています。
中へ入ってみました。


拝殿(1)参道の途中にある鳥居をくぐって奥へ進むと、拝殿が見えてきました。
何か粗末な造りのように思えましたが、見えていたのは拝殿全体を覆う屋根でした。 拝殿の傷みが激しいので屋根で保護をしているようです。


拝殿(2)拝殿の北側。
唐破風の屋根が特徴です。


蟇股蟇股(かえるまた)
鳥や植物が彫刻してあります。


三角の千鳥破風三角破風。
檜皮の痛みが激しい。


本殿と摂社?
右が本殿。
見えているのは覆屋で中に本殿があるようです。(中まで覗いていませんでした。)
左は摂社か末社。
表の案内板には、「境内は本殿、拝殿、摂社からなる」と書いてあったので摂社ではないかと思ったのですが、検索してみると末社と書いたサイトが多かったです。

拝殿に掛けてあった解説板には次のように書いてありました。(読み仮名は筆者が付け加えました。)

『祭神は氷を造って額田大中彦皇子(ぬかだおおなかひこのみこ)に奉った稲置大山主神(いなぎおおやまぬしのかみ)を祀る。本殿の前にある拝殿(重美江戸)は東福門院の寄進とつたえ、桧皮葺前後に唐破風屋根をかけ、西側面に三角の千鳥破風を作った珍しい構造で、蟇股(かえるまた)には桃山風の花鳥彫刻をほどこしている。 これは元和年間、後水尾天皇の内裏小御所の庭にあった釣殿の遺構と伝える。
当社は古来痘瘡の神として信仰され例祭六月十五日は、昔宮中に氷を献上した日にあたる。
「夏ながら秋風たちぬ氷室山 ここにぞ冬を残すと思へば」(拾遺愚草) 定家』
(2008/5/6撮影 Pentax K100D + DA18-55)

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2008年05月13日

京見峠を越え鷹峯へ

氷室別れ氷室神社から南へ歩き、船山への道を左に見て京見峠を目指します。
途中に明智光秀の城があったと伝えられる城山があるはずなのですが、気がつかないまま、氷室別れに出ました。 氷室別れは、氷室、鷹峯、杉坂への三叉路です。(Coolpix P50)


京見峠(1)鷹峯への道を行くとすぐに峠に差し掛かりました。 ガイドブックによると、このあたりが京見峠のはずなのですが、それらしき標識がありません。 峠を越えて下っていくと、わずかに杉の隙間から京都市街がちらりと見えますが、京見峠と言えるほどの展望は利きません。 (Coolpix P50)


京見峠石碑さらに下ったところで、ようやく京見峠の立札と石碑が見えました。
立札の説明文をそのまま。(Coolpix P50)


 『太平記に、延元元年(1336)、後醍醐天皇方の兵が足利尊氏らとの洛中合戦にあたり京都への北の要所としてこの京見峠に陣をはったとある。北山・西山の諸峰を左右に見て峠に立てば名のとおり、眼下に船山や釈迦谷山を遙か前方に京都市中が一望できる。
 この道(長坂)は北国丹波方面とを結び、室町時代には関所もおかれた古くからの要所であるとともに峠の大木を山の神としてまつる庶民信仰にも重要な役割をはたしたことが伝えられている。 

   京都市

 うつせみの寂しさ故におく山の
   辛夷は白く鎮もりて咲く

 この碑は在京の詩人 島岡剣石氏が辛夷(こぶし)の花の咲くこの峠で感銘を受けて詠まれた歌を鞍馬石に刻したものです。

   昭和五十三年十月 京見峠歌碑建立委員会』


京見峠茶家石碑の向かいに京見峠茶家がありましたが、この日はお休みでした。(Coolpix P50)


長坂道(1)茶屋から少し下ったところで見晴らしが良くなり、左手に比叡山が見えました。 あいかわらず、京都市街は木立に遮られて見えません。 
(Pentax K100D + DA18-55)


長坂道(2)車道から右の旧道に入ります。 
(Pentax K100D + DA18-55)


鷹峯千束
名前の通り、長い坂を下ると鷹峯千束町(たかがみねせんぞくちょう)に出ました。
光悦寺へは、この先の分岐で左の坂を上がらなければならないのですが、右へ行ってしまいました。 紅葉の頃に改めて訪れることにします。
終わり。(Pentax K100D + DA18-55)
(2008/5/6撮影)
posted by twinmount at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 夜泣峠から氷室へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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