
県(あがた)神社の西側の鳥居です。 道を間違えてうろうろしましたがなんとかたどり着きました。

県神社の拝殿です。 立て札には下記のように解説してありました。
県神社
当社は、天孫 天津彦彦火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)の妃 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を奉祀する。 「あがた」の名は、上古の「県」の守護神であったことを示し、神代以来当地の地主神であった。 後冷泉天皇永承七年(1052)時の関白藤原頼道の平等院建立にあたり同院総鎮守となり、藤原氏の反映を祈請したのである。
明治維新までは三井寺円満院(大津市)の管理下にあったが、これは平等院が三井門主の開眼にかかり天台宗に属していたためである。 維新後は神仏分離令によってその管理からはなれた。 当社の大祭、六月五日から六日未明にかけて行われる暗夜の奇祭「あがた祭」は近府県はもとより広く全国から参拝者が集まりたいそうにぎわう。
宇治市

県神社を出て宇治橋の方へ歩くと、 大きな鳥居が見えてきます。 あとで前に回ってみると県神社参道と書いてありました。

宇治橋に出る前に、うっかり通り過ごしそうなところに橋姫神社がありました。
橋姫神社
古代より、水辺、特に橋は心霊が宿るところとされており、橋姫はその守り神です。 瀬織津比*(せおりつひめ:*は口偏に羊)を祭神とする橋姫神社は、明治3年の洪水で流失するまでは宇治橋の西詰めにありました。境内には橋姫神社と並んで、同じく水の神である住吉神社が祀られています。 交通の要衝として発展してきた宇治にとって、宇治橋はとりわけ大きな意味を持っており、橋姫神社を巡って数々の伝承を生み出しています。 また、宇治が主要舞台となっている源氏物語十帖の第一帖は「橋姫」と名付けられており、橋姫神社はその古蹟となっています。